• 2018.9.24
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「山の会」たより61

平成30年9月16日 求菩提山(782m)

○ 10月の山の会は犬ヶ岳山系で未踏であった「求菩提山」に登った。求菩提山は修験者の山としても有名である。天気は曇り晴れの絶好の日和である。08:06求菩提公共駐車場に到着、早速登山準備をしたのち、山伏像の前で写真を撮り出発した。

 

 08:33犬ヶ岳登山口の方に少し進んだところの求菩提山登山口(裏側?)から登り始めた。最初からかなり急な斜面で崩れかけた石段が山道となっており、両側には杉の木立で覆われている。湿気が多く、かなりの暑さを感じながら登って行った。

 
○ 08:56 中腹の周回路との合流点に着いた。最初に第5「阿弥陀窟」に行ってから、他の修行窟を巡ることにした。
「阿弥陀窟」は平安時代の末期の浄土信仰が盛んだった頃に由来し、表には阿弥陀如来、裏には地蔵菩薩が陽刻された板碑が安置されていたそうである。次に経筒を岩の隙間に納経されたことが発見された第4窟「吉祥窟」、大日窟と普賢窟を守る役目を持った第3窟「多聞窟」、銅板法華経が発見された第2窟「普賢窟」、そして09:47修験道の中心に位置し、すべての諸仏、諸尊を統一する第1窟「大日窟」に着いた。5窟は山中をトラバース的に位置し、岩石に刻み込まれ、祠を祭ってある。ほとんどが木々で鬱蒼としている。

 

 

 

 

 

 

○ 少し傾斜のあるつづれ折りになった山道を登っていくと、転落防止のために細木を組んだ防護柵が何ケ所も設置されている。10:05 胎蔵界護摩場跡に着いた。修験道独自の野外で護摩を焚いていた外護摩場で、大日如来をはじめ諸尊の供養が行われた。またここは、一の岳から犬ヶ岳への尾根道の分岐となっている。
○ しばらく進むと、「上宮」が見えてきた。裏から正面の石段側に廻り、11:21山頂に着いた。上宮は木立の中に建てられた立派な社である。お参りして横にある求菩提山の標柱を囲み写真を撮った。昼食にはまだ早いので、そのまま下山することにした。下り始めたら急な石段が続いており、湿った石段には苔が生えていて滑るので慎重に一歩一歩下った。

 

 
○ 11:02 石段が緩やかになったら中宮に着いた。振り返ると石段は鳥居から長く続き、石段についての説明書きには「鬼の石段」となっていた。社から下った広場は適当に日隠や日当たりが良く、ここで昼食を摂ることにした。久しぶりに広い場所でゆったりとした食事である。毎回、女性陣の手作り料理には感謝!男性陣はラーメンとおにぎり程度を持参すれば良く、豪華な食事となる。

 

 
○ 11:45 昼食を終え、再び下山を開始した。ここからの下山は阿弥陀窟を経て上りに使ったコースを戻り予定でいた。12:00道標に「氷室跡」があり、寄ってみることとした。石組みのかなり大きな遺構で先人の苦労がしのばれる。元の道標まで戻ると、森林セラピーロードと書いてあるので、そちらを進むことにした。氷室跡を過ぎて、しばらく行くと、「禊場」に着いた。大きな岩から水が流れ出ている禊場は神事などの前に汚れを流すところとして作られている。そのまま進むと、「座主館跡」があった。座主とは最も位の高い修験者であり、この付近に多くの宿坊があったとのこと。

 

○ 結局、座主坊園地駐車場から32号線で求菩提公共駐車場に戻るコースとなった。途中石像があちこちにあり、修験の山であることを再認識させられる。駐車場までは結構長く、舗装道路の歩きは結構こたえる。途中で車が2台止まっている「水汲み場」に着いた。早速我々も水を飲ませてもらった。冷たい水は疲れた体を生き返らせる。もう少しだ!頑張ろう。13:03 駐車場に到着して求菩提山登山を終えた。

 

※ 修験者の山「求菩提山」登山はゆったりと古からの史跡をたどる登山となった。さまざまな史跡は修験者たちが大切に守り続けているように感じられた。概ねすべての史跡を巡りことができ、良い経験となった。
求菩提までの路程は思った以上に時間がかかるものの、登山は短時間で周回でき、手軽に登れる山であったが、山頂の眺望がないのが残念である。

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