• 2024.1.21
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「山の会たより」108

2024年1月17日(水)福岡県 四王寺山:大城山(410m)、大原山(355m)

 最近の登山はだんだんと低山となってきたが、初めての四王寺山周遊を計画した。07:30 甘鉄西大刀洗駅に集合し、途中でメンバーを迎車して、大宰府を経由で四王寺県民の森センターに向かった。
 08:42 「県民の森センター」駐車場で既に到着していたメンバーと合流し全員が揃った。センターは立派な施設で職員も数名常駐してあるようである。登山準備を終え出発することとなったが、登山口が分からない。

 

そこで職員の方に尋ねると、”いくつもの道があって、どこからも行けますよ。”確かに地図を見るとたくさんある。尾根道をぐるっと回りたいと言うと、「子どもの国」の先から登ると「土塁」尾根に出るので、左に進めば良いとのことであった。

ただし、尾根から左は下山道になるので下りて行かないようにとの注意を受けた。

(※天智天皇が四王寺の中央部に「大野城」を建て、その時周囲を土塁で囲った。)

 

 09:15 登山口から「子どもの国」を抜けて、土塁尾根に進んだ。ちょっと登ったところが尾根で、楽した感じである。ほんの少しだけの上り下りの尾根道は快適である。石仏の30番から29番と番号が若くなって行くようだ。
道標の展望台へ進むと、小高い所から左前面奥に花立山(筑前町、小郡市)がみえている。更に左は宝満山、三郡山、砥石山、若杉山とつながっている。その手前には我々が後で周遊すると思われる低山の繋がりが見えている。この上ない青空のなかに空港から飛び立ったばかりの飛行機が上昇している。

 

 
○ なんとなく下り過ぎのような感じで、地図を確認すると下りる道を間違えたようである。登る道が見えたので再度土塁の尾根へ進んだ。
「水城口城門跡」という看板があり、左に下りると水城の登山口になるようである。そのまま行くと「けいさしの井戸」の看板、少し上りになるが行ってみた。水はないが、お椀の底みたいな場所に石組みの1mぐらいの深さの井戸である。

 

○ 元の登山道に戻って進むと毘沙門天の鳥居が見えてきた。階段を上ると綺麗に掃かれた「毘沙門天」の社があった。10:13 毘沙門天から20mぐらい横の場所に四王寺山の最高山「大城山」に着いた。見晴らしはなく、注意していないと見逃がしそうである。

再び進んで行くと急斜面の下りとなった。どんどんと一気に下っていく。両サイドの「ウラジロ」をかき分けていく感じである。しばらくすると、道路が下を走っている。かなり下ったようである。

 

○ 10:32 「野外音楽堂」に着いた。大宰府宇美線の横に造られて、現在は使われていないような感じであるが、後で調べてみると2023年、去年の10月にロックフェスがあった記事があり、”びっくり”である。
道路を渡って、「百間石垣」に行くことにした。再び下りが続く、木立の合間からすごく立派な建物「宇美拘置所」が見えている。拘置所と刑務所の違いなど話しながら下っていくと、石垣が見えてきた。

 
○ 10:55「百間石垣」まで下ってきた。こんなに高さ4m、長い180mの石垣をどうやって積んだのか。積んだ古代?の人に敬服する。下には宇美町道が通っている。
いったん町道まで下って、「北石垣」の案内板から登り始めた。先ほど下った分を登り返すがごとく、急斜面が現れた。連続しての急斜面は息が上がり、最近経験がないような登りである。”きつい!”

 
○ 登り切ったところに看板があり「北石垣」通行止め!、やむなく「小石垣」に向かって行くことにしたが、また今度は下りである。だんだん気力が失われていく。かなり下ったところで沢に架かった木橋が見えてきた。前面に小さな石垣が見えている。木橋の横では女性4人組が昼食を摂っている。

 

○11:35 メンバーの”腹減った”という一言で、ちょうど日当たりの良い平地(田んぼ跡?)で昼食をとることになった。12:07昼食を終え、小石垣の上を通って東土塁へ向かうことにした。最初は緩やかであった山道はどんどんと険しくなってきた。食後のこの登りは”きつい”
12:19 土塁の尾根道に合流し、ゆったりとした歩みに戻った。

 

○ 18,17,16番札所の石仏を過ぎていくと、前に食事していた4人組の登山者が歩いている。”かなり前に行っているはずなのに!” すると、出会う登山者に何か話しかけて、スマホ写真を見せている。われわれも側に行くと、「セリバオウレン」という花とのことである。”今の時期しか咲かない貴重な花なので、見てきたほうが良いと”言われ、それではと一旦戻った。
言われた場所に戻ると、5,6人の人がいて、しきりにカメラに収めている。それではと我々も初めて見る小さな可憐な花「セリバオウレン」をカメラに収めた。山で花を見ることがない時期なので得したような気持である。

 
○ 12:54 「持国天」跡、15番札所の横が「大原山」山頂となっていた。なだらかな山道を進んで行くと、右側には大宰府天満宮、九州国博、筑紫女学園などが大宰府の街並みが見えてきた。
急に小高い所にベンチがたくさん置いてある見晴らしの良い場所でに着いた。予定していたセンターへの下りの道を過ぎてしまったようだ。

 
○ 13:18 「焼米ヶ原」に着いた。子供連れの家族もいる。見晴らしが四王寺で最も良い所とされている場所である。入口の駐車場には何台もの車が止まっていた。「大城山」の山並みが見えている。

 
道路を渡って、センターへの戻り路へ進んで行った。「子どもの国」を経て、鯉のいる池を過ぎてセンター駐車場に13:40 無事到着して、四王寺山周遊を終えた。

 

※ 最近は低山を選択することが多くなったものの、快晴の登山日和、四王寺山周遊を計画した。太宰府駅を過ぎて、宇美への道路で四王寺県民の森からの登山となった。最初はかなり上った所からの登山開始となったため、ゆっくりした尾根道で低山はこんなものだろうと考えていたが、途中から急斜面の上り下りとなり、侮れないと改めて思い知った。
 大宰府政庁跡から続く四王寺山は史跡や石仏も多く楽しめる山である。また、平日にもかかわらず結構多くの人と出会ったので、人気のある山だろう、機会あれば再度訪れたい山であった。

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